大阪の城
おはようございます。
今日の大阪の天気。。晴れ。
最高の気温13度の予想。。。いい天気です。
今日は大阪の城を紹介します。
大阪には100以上のお城があったようです。
大坂の「坂」の字が「土に反る」と読めてしまい縁起が悪いということから、
江戸時代のころから「大阪」とも書くようになったようです。
また、一説には「坂」から「阪」への変更は、明治新政府が「坂」が「士が反する」、
士族(武士)の反乱と読めることから「坂」の字を嫌ったともいわれてます。
江戸時代に修築された日本の城。
別名は錦城、金城
城郭構造は輪郭式平城または平山城
天守構造。。。
豊臣期・1585年築は複合式もしくは連結式望楼型5重6階地下2階
徳川期・1626年再築は独立式層塔型5重5階地下1階
1931年SRC造復興は 独立式望楼型5重8階
築城主は豊臣秀吉、築城年は1583年(天正11年)、主な改修者は徳川秀忠
主な城主は豊臣氏、奥平氏、徳川氏
廃城年 は1868年(明治元年)
遺構は 櫓、門、石垣、堀
指定文化財 国の重要文化財は櫓・門など、登録有形文化財は再建天守、特別史跡
次は岸和田城(きしわだじょう)です。
建武元年(1334年)前後に、
和田高家が現在の岸和田城跡から約500m東(岸和田市野田町1丁目周辺)に岸和田古城を築城。
「岸の城」とも言われたそうですが、その後『日本城郭大系』によると
信濃泰義によって現在地(岸和田市岸城町)に移築されたとなっているそうです。
羽柴秀吉の紀州征伐の拠点として再築城され、その急ごしらえで造られていたものを、
小出秀政が5重天守を上げる本格的な構えとし、
岡部宣勝の頃、城の東側に2重、西側に1重の外堀と寺町が増築されてたそうです。
以降再建されないまま、明治4年(1871年)に廃城となったようです。
その後昭和29年に再築されました。
城郭構造 輪郭式平城
天守構造
慶長二年、1597年築城は複合式望楼型5重5階
元和五年、1619年改築は複合式層塔型5重5階
昭和29年、1954年再築は連結式望楼型3重3階、外観復興天守
築城主は信濃泰義
築城年は応永年間(1394年-1428年)、主な改修者は三好実休、小出秀政、岡部宣勝
主な城主は小出氏、岡部氏
廃城年は明治4年(1871年)
遺構は石垣、堀、指定文化財 大阪府史跡は名勝(本丸庭園)
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