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大阪を救った人物とは。。。

 

 

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おはようございます。
平成29年3月30日木曜日
今日の大阪の天気は晴れ。
最高気温。。。19度の予想。
大阪は桜の開花宣言はまだですが。。。

万博公園の桜は。。咲き始めました。


今日は大阪を救った人物を紹介します。
五代 友厚(ごだい ともあつ)

時代 江戸時代末期 - 明治時代中期にかけての日本の武士(薩摩藩士)、実業家。
生誕から死没 1836年2月12日から1885年9月25日(満49歳没)
主君 島津斉彬、久光(薩摩藩)

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大阪経済界の重鎮の一人。。。

当時、「まさに瓦解に及ばんとする萌し」(五代)のあった大阪経済を

立て直すために商工業の組織化、信用秩序の再構築を図った人物です。
大阪商法会議所設立。。。。

明治初期、維新変動の波を受け、大坂経済は低迷期に入っていたそうです。

銀主体の商取引の廃止と、藩債の整理による富豪や両替商の資産消失が主な原因。

この事態を打開し、大阪経済の復活を願って、

財界指導者の有志15名が明治11年(1878年)7月、

大阪商法会議所設立の願書を大阪府知事に提出した。

今日の大阪商工会議所の礎である。

初代会頭は五代友厚で、

国内に事件が起こると

いつもどさくさに紛れて悪辣(あくらつ)な金儲けをするやつが増えるのを防ぐため、

またお互いを助け合うためには

実業家たちの一致団結による協力と意見交換の場が必要と考え、

「もし、あとで加盟を申し込んでも拒絶するかまたは巨額の入会費を徴収する」

といった半ば強引な形で大阪商人を勧誘したちまち60人の同士を獲得した。

五代が大阪商法会議所を設立した目的は、

大阪の実業家が相互扶助によって、

新時代の潮流にさおさし大阪商人の伝統である

信用第一主義に則り以て自己の利益を増すと同時に、

大阪の繁栄を軸に国富の増強に資するといったような趣旨に基づく遠大な意図をもつのだった。

そして創立委員は五代を初め、

鴻池善右衛門、三井元之助(後の三井財閥)、

広瀬宰平(後の初代、住友総理人)らが150株、を筆頭に計11人が創立委員となった。

五代はわざと頭取や副頭取にならず、

隅っこから初代会頭として生みの子の育ち行く姿を見て

「大阪が日本の産業と金融機関の中枢になるのもすぐだ」と呟いたようだ。

創立委員の豪華な顔ぶれを見てもわかるように

五代がなぜ他に比べあまり有名でないかは

財閥を作らなかったことが影響していると言われている。

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大阪取引所前の五代友厚銅像

大阪市大阪取引所は。。

諸藩の蔵屋敷があった江戸時代の大坂の米穀取引所を起源に、

五代友厚らが発起人となって設立された大阪株式取引所が前身です。

 

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  2015年度下半期放送のNHK連続テレビ小説」第93シリーズ
 五代友厚(ごだいともあつ)を演じたのがディーン・フジオカさんです。

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